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@見付宿たのしい文化展 2010
■リンク:見付宿たのしい文化展 2010
会場であるギャラリー「たかまつ」の先代が大切に保管してくださっていた写真の年賀状の版画作品でそれである。『ゆりの根』が描かれている。
大切に保管して下さっていた「たかまつ」さんの先代へ感謝。
Disney PIXAR社の最新映画『カールじいさんの空と飛ぶ家』の主人公『カールじいさん』の風貌が修司氏に極似で驚いた。
本映画の原題は『UP』。主人公のカールじいさんは白髪に四角いメガネ、四角い顔。短い首とどうみても修司氏なのだ。他人事ではないのでお正月にでも観にいってみたい。
(写真は、前売りチケット特典のカールじいさんマスコット)
後藤修司のネットギャラリーがインターネット上に開設されました。(画集へ掲載した作品がインターネットを介してブラウザから閲覧可能となりました)
本ブログの左上に設置したオレンジ色のバナーをクリックして頂ければそれをご覧頂ける仕掛けとなっておりますので、是非お試し下さい。リンク先でAuto Playというボタンをクリックして頂ければスライドショー形式で作品が順次表示されます。
先週、以前氏の画集*の制作でお世話になったネットオーダー可能なフォトブックのメーカーPhotoback(TM)からメールが届いた。メールの内容は画集のデジタルギャラリー化の準備完了のお知らせであった。(* = 『後藤修司 切り絵作品集 【風景編/花編】 』)
これにより、画集内容がインターネットを介してブラウザから閲覧可能となった。(=デジタルアーカイブ化完了した)
実は、やろうと思えばもっと早い時期にこの作品のネット公開は可能であったのだが、以下の理由により一般公開を躊躇していた為、今頃の公開となってしまったのである。
・できれば展覧会へ足を運んで頂き直接作品をご覧頂きたい
→同時に氏のお世話になった方々とお会いしたい
・作品クオリティが自己満足&素人の領域を出ない
→と私は考えていた為、広く多くのみなさんへご覧頂くのは…おこがましい
・公開フォーマットがメーカー依存(Photoback(TM))である
→本当はフリーの画像公開サービス:Picasa web AlbumやFlickrあたりで公開したかった
*結局、多忙を言い訳にしてずっと何も手をつけずいたずらに時間が過ぎてしまっていたことを反省して、取り急ぎ一刻でも早く公開することを最優先にして今回の公開に至った。
そういえば、文化祭の行われるこの季節この時期、氏は地元・磐田市の美術協会か何かのご縁で市民病院の壁に飾らせて頂いていた作品の交換に奔走していた。作品の掛け替えが終了すると決まって、その作品の話を聞かされた記憶がある。
内容は『捜索ご要望のありました絵画作品は発見できませんした。半年という捜索期間が終了した為に(=時間切れの為)お探しの絵画の捜索は中止させて戴きます。あしからず』といった感じであった。(適当に意訳してあります)
年初、氏の若かりし頃の作品がアメリカへ渡っているという事実を思い出させたのは、他でもない妻・香代子さんであった。2009年1月末に故・後藤修司特集という企画で磐田市のコミュニティFM番組へ出演させて頂いた際、香代子さんの口からアメリカへ渡った幻の作品の件(くだり)が話されたのだった。
そういえば、かつて本人の口からもその話は聞かされたことがあった。
あまり自慢話はしない人であった氏がかつて珍しく誇らしげに語っていたそのアメリカへ渡った作品は果たしてどんな作品だったのだろう?その作品の写真すらなく全く手がかりがない。唯一の頼りは香代子さんのおぼろげな記憶だけである(在りしの本人曰く、傑作だったらしい)
果たして、氏の作品がアメリカへ渡ったのは、どんな、経緯だったかというと…
今をさかのぼること40年以上前、場所は当時氏が住んでいた静岡県清水市。まだ若かった頃の修司氏の絵画作品が清水市の姉妹都市である米・ストックトン市へ友好の「しるし」として当時の清水市長さんから贈られストットン市の市長室の壁に展示された。といった感じだったらしい。
作品は恐らく切り絵ではなく彼の作品初期から長く創作を続けていた定番である透明水彩画であろう。
余談ではあるが…
当時の一ヶ月の給料のウン回分程度の高額なギャラを頂いたとか頂かなかったとか。実は、その作品は東京で開催されていた大きな展示会へ出展しようとしていた位の出来だった。もしくは、実際に出展して素晴らしい賞を受賞した作品だった。そうだ。
そんなこともあり、2009年1月、初めての展覧会を開催した頃に私が慣れない英文でe-mailでストックトン市へ絵画の捜索とデジタルカメラで写真を撮って送ってほしい旨のリクエストをしていたのであった。あれから半年以上の月日が流れたことになる。
結局、あまりに古いお話&情報のディーテイルがおぼろげで手がかりにならない。(例えばどんな絵だったのか?サイズは?など)という理由で探そうにも探せないのであったのであろう。偶然でもその作品が見つかり写真画像でも見せてもらえたらドラマティックだったが、そんなに世の中上手くいかないようだ。(実際は見つからないほうがイマジネーションが拡がるのであるのだが…)
実は、平行して現在は静岡市・清水区となった同市へも同様の照会を依頼しているのであるが、状況は米・ストックトン市と同様の様子である。彼らからも米国へ問い合わせてみるような経過のご報告を頂いている。
ともあれ、ヒアリングできた幻の作品情報をメモしておこう。
・サイズは…大判の透明水彩画の作品
・モチーフは…清水港もしくは富士山。もしくはそれら両方の収まった構図の風景画
・時代は…当時の清水市長さんは佐藤虎次郎氏(1965.8.20~1977.8.19*)
・背景は…清水市と米・ストックトン市の姉妹都市の友好のしるしとして清水市より贈呈された
※Wikiによる情報…長いですね。さすが、保守的なエリアですな
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静岡県 磐田市生まれ 1933年8月13日(昭和8年)~2008年8月1日(平成20年)享年74歳
故郷、静岡の自然をテーマに透明感と力強さを特徴とする水彩画、切り絵、彫塑作品を数多く作成した。そんな彼の情報を中心に遺族の手により、ゆったりと運営していきます。