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#展覧会当日まであと8日
内閣府(前)内閣総理大臣の福田康夫氏から郵送物が届いた。(確か11月頃だったと思うが定かでない)
『平成20年の秋の叙勲にて故・後藤修司が「瑞宝双光章」~正六位を受章しました』と報告しようと思っていたが、正確にはそうではなく『死亡叙勲で「瑞宝双光章」~正六位を戴いた』というのが正しい。
※「死亡叙勲」~勲章の授与の対象となるべき者が死亡した場合には,春秋叙勲とは別に随時勲章を授与されるもの。
戦争を知らない世代の私としては『戦時中でもない今時、勲章って言われても凄いの?偉いの?金一封でもいただけるの?』という程度だというのが正直なところだ。だが、亡き後藤修司氏本人はどう思っているだろうか?(他界しているので本人へ聞くことはできないが)
学歴とか社会的地位とかそんなことなんかよりも本質的な人の善さや輝きを重んじるタイプの人だったが、もし本人に直接その話が届くことがあれば、それでいて、まんざらでもないのではないだろうか?意外とこの手の名誉ごとを本人は喜んでいるといるような気がする。むしろ、こっそりほくそえんでいるような感じだろうか。
彼の思考は、右寄りでも左寄りでもノンポリでもなく、どちらかというと日々の生活の中であまりそのようなことを意識すらしなかった人だったように思う。だが、地元の教育や文化の為に尽くしていたことは事実だ。それは人目があってもなくても、表舞台でなく裏方でも、教育者として在職中も退職後も、損得抜きにコツコツとどちらかというと地道に裏方に近いが自分の信じる方法で本当に死ぬ前日まで生活の一部=ライフワークとして継続していたように思う。そんなどこまでもイノセントな部分で我々家族が泣かされたこともしばしばあったことも事実だったが、後藤修司氏は時代錯誤な程、正義感が強くピュアで一徹な男でした。(その点、私にはとても真似できません)
だからそういう意味で、勲章が云々~というような名誉は別にして、素直に『良かったね』と思う。例えそれが単なる紙切れと金属メダルであったとしても、死亡すると自動的に戴けるものであったとしても。彼の今までやってきたことは、人として『善い』ことが多かったから。(完璧なことはひとつも無いにせよ)
※我々の知らないところでご手配およびご尽力戴いた静岡県教育委員会およびその他関係者のみなさまへ感謝しております。ありがとうございました。
◎内閣府サイトより
http://www8.cao.go.jp/intro/kunsho/
『勲章・褒章-称えられる栄誉のしるし
栄典は、国家又は公共に対し功労のある方、社会の各分野における優れた行いのある方などを表彰するもので、勲章及び褒章があります。春秋叙勲及び褒章、文化勲章などは、マスコミでも毎回大きく報道されています。
内閣府賞勲局では、栄典制度の調査、研究、企画業務のほか、春秋叙勲等における勲章等の授与の審査などの栄典に関する事務を行っています。』
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静岡県 磐田市生まれ 1933年8月13日(昭和8年)~2008年8月1日(平成20年)享年74歳
故郷、静岡の自然をテーマに透明感と力強さを特徴とする水彩画、切り絵、彫塑作品を数多く作成した。そんな彼の情報を中心に遺族の手により、ゆったりと運営していきます。