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写真は彼が愛用していた品である。画材専門店でなく普通の文房具屋さんで販売されている普通のプレーンなタイプのこのカッターナイフが数々の作品を創ってきた。今でも彼の書斎兼アトリエのペン立てに何気なくささっている。カッターの刃はシャープな状態を維持する為に何回となく折られて、短くなっていたので新しいものに交換してある。
かつて日本酒ブームの際に贈った銘酒「越乃寒梅」(だったと思う)も『安酒に慣れているので、あまりおいしく感じない』というようなことを言ってあまり喜ばれなかった。『良いお酒はどうも呑みつけないせいか?サラリとしていて水みたいで物足りない』的なことを言われたことを記憶している。
気付けば7月も中旬。昨年(2008年)8月1日の修司氏の急逝から間もなく一年が経とうとしている。仏壇、お墓(まもなく完成)、一周忌や初盆などの法事準備を進めている中で彼の愛用品を改めて見たり整理する機会がでてきている。
折をみてそれらについて触れていきたいと思っている。その筆頭の品が今回記録する愛車である。急逝後、車検等もろもろ登録も全くそのままになっているが、そろそろ整理を検討しなくてはいけない。同居人としては、運転できないその自動車をただただ思い出の品としてそのまま所有し続けたい様子ではあるのだが・・・
当方は作品の搬入や搬出時や法事等で電車で帰省した際に運転して時々エンジンを動かしてはいるものの残された同居人は自動車の免許をもたない為、実質的には駐車場においてあるだけ。間もなく保険更新の時期でもある。
後部座席の荷台にはおそらく氏が大学生時代位から愛用していたボロボロの古いイーゼル(折れた足をボロ布で補習してある)と麦藁帽子がそのままの状態で積まれている。
定年後、誰もがあこがれるような国内外の高級車ではなく、この実用的なしかも中古車をあえて選んだのも彼らしかった。『好きな時に好きなだけ絵を描く』といって荷物や画材がたくさんつめるこの車を購入したのだった。しかし、実際は絵を描く為というよりも趣味ではじめた園芸農業のために活躍していた。畑が離れた場所にあった為、鍬などの園芸用道具や収穫した作物を荷台に積んで移動するのに役立っていた様子だ。
略歴のまとめに際しては、退職時に頂いた資料が参考になりました。公務員いうのは退職時に職歴票(経歴?)とそれらの職歴の結果、退職金を○○円支給します。的な書類が頂けるようである。初めてそれを拝見したときは驚いたが、そんなものがこんな形で役に立つとは思いませんでした。
■作者略歴
後藤修司 (ごとう しゅうじ / Syuuji GOTO)
昭和27年3月(1952年) 静岡県立 磐田南高等学校 卒業
昭和31年3月(1956年) 静岡大学 教育学部 卒業
昭和31年4月(1956年) 静岡県 清水市立小島中学校教諭として勤務
(興津小・興津中・蒲原中・雄踏中・旭が丘中・気田中・豊田中・福田中・春野南中)
平成 6年3月 (1994年)静岡県 磐田市立東部小学校 校長を最後に退職
平成 6年4月 (1994年)中遠建築高等職業訓練 校長として再就職
平成 9年3月 (1997年)西貝公民館 館長を6年間務める
平成 20年8月1日 (2008年)急逝/瑞宝双光章~正六位 受章
※38年間、主に理科および美術科の教諭・校長として静岡県下の小中学校で児童・生徒の指導や学校経営に務めた。 学生、教員生活を通じて故郷・静岡の自然をテーマに、透明感と力強さを特徴とする水彩画、切り絵、彫塑作品を数多く制作。退職後も地元西貝公民館 館長、磐田市美術協会 会員・事務局長などの傍ら制作活動を続け多数の芸術賞を受賞した。
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#展覧会当日まであと8日
内閣府(前)内閣総理大臣の福田康夫氏から郵送物が届いた。(確か11月頃だったと思うが定かでない)
『平成20年の秋の叙勲にて故・後藤修司が「瑞宝双光章」~正六位を受章しました』と報告しようと思っていたが、正確にはそうではなく『死亡叙勲で「瑞宝双光章」~正六位を戴いた』というのが正しい。
※「死亡叙勲」~勲章の授与の対象となるべき者が死亡した場合には,春秋叙勲とは別に随時勲章を授与されるもの。
戦争を知らない世代の私としては『戦時中でもない今時、勲章って言われても凄いの?偉いの?金一封でもいただけるの?』という程度だというのが正直なところだ。だが、亡き後藤修司氏本人はどう思っているだろうか?(他界しているので本人へ聞くことはできないが)
学歴とか社会的地位とかそんなことなんかよりも本質的な人の善さや輝きを重んじるタイプの人だったが、もし本人に直接その話が届くことがあれば、それでいて、まんざらでもないのではないだろうか?意外とこの手の名誉ごとを本人は喜んでいるといるような気がする。むしろ、こっそりほくそえんでいるような感じだろうか。
彼の思考は、右寄りでも左寄りでもノンポリでもなく、どちらかというと日々の生活の中であまりそのようなことを意識すらしなかった人だったように思う。だが、地元の教育や文化の為に尽くしていたことは事実だ。それは人目があってもなくても、表舞台でなく裏方でも、教育者として在職中も退職後も、損得抜きにコツコツとどちらかというと地道に裏方に近いが自分の信じる方法で本当に死ぬ前日まで生活の一部=ライフワークとして継続していたように思う。そんなどこまでもイノセントな部分で我々家族が泣かされたこともしばしばあったことも事実だったが、後藤修司氏は時代錯誤な程、正義感が強くピュアで一徹な男でした。(その点、私にはとても真似できません)
だからそういう意味で、勲章が云々~というような名誉は別にして、素直に『良かったね』と思う。例えそれが単なる紙切れと金属メダルであったとしても、死亡すると自動的に戴けるものであったとしても。彼の今までやってきたことは、人として『善い』ことが多かったから。(完璧なことはひとつも無いにせよ)
※我々の知らないところでご手配およびご尽力戴いた静岡県教育委員会およびその他関係者のみなさまへ感謝しております。ありがとうございました。
◎内閣府サイトより
http://www8.cao.go.jp/intro/kunsho/
『勲章・褒章-称えられる栄誉のしるし
栄典は、国家又は公共に対し功労のある方、社会の各分野における優れた行いのある方などを表彰するもので、勲章及び褒章があります。春秋叙勲及び褒章、文化勲章などは、マスコミでも毎回大きく報道されています。
内閣府賞勲局では、栄典制度の調査、研究、企画業務のほか、春秋叙勲等における勲章等の授与の審査などの栄典に関する事務を行っています。』
故郷、静岡の自然をテーマに透明感と力強さを特徴とする水彩画、切り絵、彫塑作品を数多く作成した。本ブログ作者の実父である。
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静岡県 磐田市生まれ 1933年8月13日(昭和8年)~2008年8月1日(平成20年)享年74歳
故郷、静岡の自然をテーマに透明感と力強さを特徴とする水彩画、切り絵、彫塑作品を数多く作成した。そんな彼の情報を中心に遺族の手により、ゆったりと運営していきます。