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写真は彼が愛用していた品である。画材専門店でなく普通の文房具屋さんで販売されている普通のプレーンなタイプのこのカッターナイフが数々の作品を創ってきた。今でも彼の書斎兼アトリエのペン立てに何気なくささっている。カッターの刃はシャープな状態を維持する為に何回となく折られて、短くなっていたので新しいものに交換してある。
かつて日本酒ブームの際に贈った銘酒「越乃寒梅」(だったと思う)も『安酒に慣れているので、あまりおいしく感じない』というようなことを言ってあまり喜ばれなかった。『良いお酒はどうも呑みつけないせいか?サラリとしていて水みたいで物足りない』的なことを言われたことを記憶している。
7月末から8月にかけて、お墓への納骨~一周忌~初盆と立て続けに法要関連のセレモニーが実施された。特に初盆では大掛かりな祭壇と飾りのセレモニーであった(これは地元の風習であろうか?)
一年前を振り返ると…あまりに急逝だったこともあり、彼の死を当初は受け入れることができなかったが、今はやっと理解できるようになってきた気がする。(実に亡くなる前日までピンピンしていたのだ)
実は、この死を一番理解できていないのは当の本人・修司氏であった。と私は思っている。昨年8月、急逝の知らせを受け急ぎ帰省して、なきがらと一晩を共にした際、その傍らに氏の魂がいる気配を感じた。『本人が一番驚いているんだなぁ』となんとなく思ったことを覚えている。
奇妙なお話に聞こえるかもしれないが、これ事実。霊的なお話は、本やテレビではなんだか怖いお話のイメージがあったが、親族のそれは自然で別に不思議でも怖いものでもなく、ただただ常識を超える感覚として感じた事実であった。(普段まったく霊感のない私であるが、通夜前にはなきがらの傍にいる氏を感じた。建てつけの悪い実家の造りのせいでもあるが、あり得ない場所から足音やら人の気配をも体感した)
没後この一年を振り返ると、本ブログの立ち上げに始まり、3回の展覧会、2種類の画集の編纂。海外(米、ストックトン市)へ贈呈されたとされる過去作品の捜索といろいろなことをしてきた。完結していないこともまだまだあるが、このあたりで一段落としようと思う。アトリエの作品の整理もゆっくりとマイペースで進めていくつもりだ。
引き続き、展覧会への出展のご依頼などは喜んでお受けいたします。ご連絡はこちらへ
(追伸)
お盆前に発生した静岡エリアを震源とする地震(震度6を記録)に際しましては、もんぜん・輪島の展覧会でお世話になったT氏からお電話を戴きました。
#ありがとうございました。みんな無事にやっております。
※氏のお墓は静岡県磐田市城之崎にある福王寺(曹洞宗)に建立されました
2009年7月22日(水)46年ぶりの天体ショー(皆既日食)に日本中が沸いた。
写真は静岡在住の友人から届いた写真である(携帯電話で撮影)首都圏をはじめ日本全体が朝からの生憎の曇り空であったが、曰く『薄い雲が丁度日食グラスの役を果たして日食観察するには丁度良かった』そうだ。
私自身も前もって日食グラス(*)を購入して準備万端の状態でこの日食を待ち構えていたのだが、残念ながらこの日食をリアルタイムで観察することができなかった。(長~い会議に拘束されている間に終わってしまった。*日食グラスは、前週末に数店をはしごしてやっと東急ハンズ渋谷店にて入手したのだった…多くのお店で皆既日食人気の為に売り切れていたのだ)
前回の皆既日食は46年前ということなのでその時は私自身はこの世に生まれていなかったが、小学校の時に部分日食があり当時はガラス板にろうそくのススをつけて作った手作りの観察用ツールをつかって小学校の校庭から空を見上げたことを覚えている。
自然現象というか…この手のイベント(特に天体現象)に私自身は強く惹かれる。もともと天体系とそれにまつわる神話が好きということもあるのだが、生まれ育った環境(=修司氏の影響)にもその理由(わけ)があるのかもしれない。などと、今、自身の過去を振り返ってみてそんな風に思うのである。
自然科学を特別なこととしてではなく、ごくごく身近で素朴な興味としていつも普通の視点で観察&分析する人それが同氏だった。(白衣を着た研究者や学者や先生というよりもステテコ姿にぞうりを履いた田舎のオッサンというようないつも地味な体裁でしたが平易な目線で自然科学を解説してくれました)
氏は美術の作者(作家)として捉えられること多いが、理科の教諭でもありそこで培われた観察眼と顕微鏡等を覗きながら書上げたスケッチやデッサンこそが実は彼の絵の世界へのルーツだったのかもしれない。以前、切り絵の個展のテーマとなった花シリーズなどは、彼と愛犬の散歩コースであった安久路川沿いに自然に自生している草花達がモチーフであった。
気付けば7月も中旬。昨年(2008年)8月1日の修司氏の急逝から間もなく一年が経とうとしている。仏壇、お墓(まもなく完成)、一周忌や初盆などの法事準備を進めている中で彼の愛用品を改めて見たり整理する機会がでてきている。
折をみてそれらについて触れていきたいと思っている。その筆頭の品が今回記録する愛車である。急逝後、車検等もろもろ登録も全くそのままになっているが、そろそろ整理を検討しなくてはいけない。同居人としては、運転できないその自動車をただただ思い出の品としてそのまま所有し続けたい様子ではあるのだが・・・
当方は作品の搬入や搬出時や法事等で電車で帰省した際に運転して時々エンジンを動かしてはいるものの残された同居人は自動車の免許をもたない為、実質的には駐車場においてあるだけ。間もなく保険更新の時期でもある。
後部座席の荷台にはおそらく氏が大学生時代位から愛用していたボロボロの古いイーゼル(折れた足をボロ布で補習してある)と麦藁帽子がそのままの状態で積まれている。
定年後、誰もがあこがれるような国内外の高級車ではなく、この実用的なしかも中古車をあえて選んだのも彼らしかった。『好きな時に好きなだけ絵を描く』といって荷物や画材がたくさんつめるこの車を購入したのだった。しかし、実際は絵を描く為というよりも趣味ではじめた園芸農業のために活躍していた。畑が離れた場所にあった為、鍬などの園芸用道具や収穫した作物を荷台に積んで移動するのに役立っていた様子だ。
予想を遥かに超える移動距離。そして辿りついた先にあったのは勿体ない位の素晴しい環境。そして展覧会の企画者Tさんとの初対面。(今まではメールと電話でしか連絡を取り合うことができませんでした)そこで伺った貴重なお話と修司氏の作品以外の数々のきりえ作品との出会い。などなど、とても貴重な体験でした。
小松空港で予約していたレンタカーへ乗り換えて金沢の街へ移動。JR金沢駅で名古屋経由で来た母と合流。金沢の街で食事をした後、一路高速(バイパス)でもんぜん文化村へ向かった。バイパスを降りて海辺の道をひたすら走ったあと、山間の道へ。
山間の狭い道をしばらく行くと「もんぜん文化村」の看板が見えた。看板の案内に導かれるまま道を進むと急に景色が広がり白い壁の建物がみえた。手入れの行き届いた美しい芝生の広場をすり抜けて道路を更に進むと駐車場についた。自動車から降りると澄んだ空気と野鳥の鳴き声が我々を迎えてくれた。自動車での移動は約2時間。
程なく、建物の中から今回の展覧会の企画者である輪島市・教育委員会のTさんがお迎えに出てきてくださり、我々は建物の中へとお通し頂いた。
・もんぜん町がどうして切り絵の街なのか?
・もんぜん文化村の施設のご説明
・東京・両国にある日本きりえ協会のお話今回の企画展の苦労話。
・今回の企画の苦労話
・静岡と石川の地震のお話
などのお話を「ゆず」の香りのするお菓子とお茶を頂きながら伺った後、展覧会を拝見した。
・常設のきりえ作品のホール
・後藤修司氏による静岡県の風景作品のホール
・同時開催されていた地元の作者「森岡善郎」さんの作品のホール
都合3つのホールを順に味わいながら、ゆったりとみせて頂いた。氏の作品展示ホールには作品展示の他に静岡の観光紹介やポスターも展示されていました。6月に開航した静岡空港のポスターも。
4月から7月までの間、以下4人きりえ作家の作品展が開催されていたのであるが、そのすべてが遺作展であった。
・金子静枝さん
・中原佳代さん
・森岡善郎さん
・後藤修司
きりえ作家の高齢化が進んでいるのか?と思い質問してみると・・・・
ここ、もんぜん文化村では児童へのきりえの体験教室なども開催しており、次の世代へ技術を伝承する試みを続けていらっしゃる。とのことであった。実際、もんぜんの次にに立ち寄った輪島の漆器職人のお店でも、もんぜんエリアの小中学校のカリキュラムの中では切り絵への取り組みがさかんでチビッコ作家もたくさん存在することを伺った。
展覧会の情報が朝日新聞へ掲載されました。以下、朝日新聞記事より転載(2009.7.4)
きりえで静岡の自然・風景
小松―静岡便の23日就航を前に、静岡の自然や風景を描いた「後藤修司きりえ作品展」(輪島市教委主催)が同市門前町の市もんぜん文化村ギャラリーで9日まで開かれている。
作品は、静岡県磐田市周辺の町並みや寺などを描いた14点=写真。後藤さんは74歳で昨夏に急逝したが、静岡の自然を表現した透明感や力強さを感じさせる切り絵や水彩画の作品を数多く残した。
旧門前町は日本きりえ協会会長の木本有太可(ゆたか)さん=東京都=の出身地で、「切り絵を通じて全国発信を」と91年に同ギャラリーを開設。毎年秋に公募展「児童生徒きりえ作品展」が開かれるなど“切り絵の町”として知られる。
午前9時~午後4時開館。入館料一般300円、中学生以下150円。月曜(6日)休館。問い合わせは同ギャラリー(0768・45・1916)。
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静岡県 磐田市生まれ 1933年8月13日(昭和8年)~2008年8月1日(平成20年)享年74歳
故郷、静岡の自然をテーマに透明感と力強さを特徴とする水彩画、切り絵、彫塑作品を数多く作成した。そんな彼の情報を中心に遺族の手により、ゆったりと運営していきます。